2021年7月18日日曜日

  安倍政権も菅政権も、「法律の不備で対策が取れない」と嘆いておきながら、実際に特措法を改正しても積極的に使おうとはしない。なぜか。

 一つはたびたび指摘してきたように、政府として補償などの法的責任を負わされること、特に財政負担を避けたいのだろう。これまでの過程から、明白に政権の意思が見て取れる。

 

 そしてもう一つ。筆者はこちらこそ深刻だと思うのだが、安倍政権も菅政権も「法律を使わずにカジュアルに私権制限できる社会」を作りたいのではないか。

 安倍政権が最初に一斉休校や大規模イベントの自粛を要請した時には、法的根拠はなかった。子供たちの学習に大きな影響が出ても、休校で働けない保護者が出ても、給食関係の業者が苦境に陥っても、政治は法的責任を負う必要がない。

 

 政治権力は行使したいが、政治の責任は取りたくない。それが両政権の本音だろう。実際、昨夏に湘南の海などに出没した「自粛警察」、箸の上げ下ろしにまで注文をつけるかのような「新しい生活様式」など、国民に相互監視させながら政権の意思を国民全体に押しつけようとする動きは、これまでにいくつも見られた。

 今回の酒類提供禁止をめぐる一連の問題も、こうした流れの一つであるように思う。

 

 総選挙が近づいている。菅政権としては、政府自らが特措法を使って営業自粛を命令したり罰金を課したりして、有権者に恨まれたくはない。だから、金融機関や取引業者という「民間同士の利害関係」を使い、裏から飲食店に圧力をかけようとした。政治として責任を取らずにすむよう、他者を使って間接的に政治権力を行使しようとした。

 それが裏目に出てかえって周囲の総反発を招いたのだ。やり口の姑息(こそく)さが、筆者には耐えがたい。

 

 ところで、冒頭に「酒類提供停止に関して、二つの方針が撤回された」と書いたが、実はあと一つ、いまだ撤回されていない方針がある。

 要請を守らない飲食店についてメディアで広告を扱う際に「要請の遵守(じゅんしゅ)状況に留意してもらうよう依頼を検討している」(西村担当相)というものだ。メディアへの圧力につながりかねない方針だが、西村担当相は14日の衆院内閣委員会でも、この方針については撤回を明言していない。こんな常識外れの対応を公言することに、菅政権はもはや何のためらいも感じなくなっている。

 

 ここはあえて言っておきたい。コロナ禍のこの1年半、私たちは安倍、菅両政権の政治権力の使い方、つまり「雑な私権制限」を結果として受け入れてしまった。筆者もこれまで両政権の「雑な私権制限」をたびたび指摘してきたつもりだが、質量ともに全然足りなかった。

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